嘘偽りない、ということ
今まで生きていて、消極的で内向きな性格から常に大小様々な鬱の波がよせてきて、過ぎるたびに次こそはもうこんな事ないように!と思うのに結局また飲み込まれて、徐々に深く深く沈んでいって、沈んで沈んで何も見えなくなる…というのが何度かあった。
そこで沈みきらなかったことが良かったのかどうかはわからないが、どちらにせよ再び浮上し、平穏になった水面に浮かんでもうこんな事はないように!と思うけどやっぱりまた寄せる波に負けるのだ。それが常。
でもこないだ大鬱が去り、今また小さい波が寄せてきているけれど、それは鬱ではなく等身大の自分を感じる要素になったように思う。自分は心が広くもなく、くだらないことでむかつき、喜ぶ、感情的な人間なんだなー、と。
これまでもそう感じはしたが「それでは駄目だ」と叱りつける自分もいた。愚鈍で馬鹿な己が悪感情を抱くのはしょうがないが、だからこそ心を広く持たねばならない、無駄な感情もコトも全て捨てろ!それが出来ないなら生きるな!
ひたすらそう、言い続けて言い続けてどんどんまた深みにはまっていった。
今思えば、背伸びしていたのかもしれない。こうありたい、という理想は常に高くあって、自分には程遠くて、でもそうありたくて。どうやっても届かないけど届かないのは自分が至らないからだからひたすら侮蔑し中傷していた。
自分が分かれていた。二重人格とかではないが、ひたすら高みを目指し高潔でありたいと思う自分と、臆病で変化を恐れひたすら縮こまる自分とに。どちらも確かに私ではあるのだが、どうしても混じらず、むしろどんどんと離れ、あいだにぽっかりと空間が広がり、途方に暮れた。
小さな波に揺られて気付く。自分が一体化している。
指先までじんわりと、一つだ。
決して今のままで良いと思ったわけではない。
でも今はこれが、自分だ。どんなに情けなくとも自分だ。
齢21にしてようやく「一人の人間」になれた気がする。
高みを目指すことは諦めない。
どんなに遠くとも目指す事は罪になるわけじゃなし。
ただ自分に鞭打ち駆け上がるのではなく、状態を把握し
みあった速度で少しずつ登っていこう。
自己満足でも、身分不相応でも、でも、目指したいんだ。
次に大きな波が来たら今度はどうなるかわからない。
ただ今回大きく変わったのはこうやって書き残した事。
これがどう影響するかはわからないが、今までと変わると良いな。
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