日常茶飯事
「間違いを恐れていては 良いアイディアは出せない」
って感じの格言が教室に貼られていたのだが、なーんか違和感を感じた。
格言を否定しているのではなく、言葉の違和感。
はてなんでだろう、と思い、どうしたらしっくりくるか?と考えてみる。
と、「失敗を恐れていては~」ならしっくりきた。
つまり違和感は"間違い"の部分であったわけだ。
ではなぜ?と考え進めていくと、"アイディア"に"間違い"がかかることに変な感じがしていたと気付く。
商品の趣旨に外れたアイディアというならば"間違った"ではなく"違う"なのではなかろうか。
似ているようで違う言葉だと思う、のだが。
アイディアそのものには"間違った"ものというのは無いのでは?おかしいアイディア…「そのアイディアはおかしい。」ん?でもこれは言うか…?
あ、そうか、アイディアそのものがおかしいのではなく、そこに至る考え方がおかしく、間違っているってことか?
つまり考える方向性を間違うことを恐れていてはアイディアは出てこない、ってこと?あぁ、なら納得。
ってことを学校から家に着くまでの間に考えていたのだが、
これも他から見たら考えすぎ、なのかね。
まぁ確かにどうでもいいことなんだけど、違和感を探るのは楽しい。
その先に発見と理解があるから。
わりと毎日、こういう"考える種"を見つけて楽しめてるのは嬉しいことだなぁと思う。
明日はどんなことを考えられるかな。
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幸せと夢
幸せ という"もの"はいくら探しても見つからないが、
幸せ だと思う"心"は至極簡単に手に入る。そう思えば良いのだから。
幸せとは夢への活力源であり、それのみで終わらせるのはもったいない。
夢とは全ての行動の大前提であり、なにも壮大である必要はない。
「明日も幸せに過ごしたい」と日々思うことも一つの夢である。
夢が無いことが不幸せ、では無い。
夢がある時には感じられない感情を得る事が出来る。
それは心を広げる。
満たされない渇望と、
満たされてる幸せと。
両方を忘れずに生きていきたい。
昔話を思い出してなんとなく思ったこと。